江田島市の軽巡大淀の沈没場所の行き方・見どころ観光情報


軽巡大淀沈没地01

広島県呉市のお隣、江田島市近海では連合艦隊の多くの軍艦が沈没しています。軽巡大淀もそのうちの一つです。軽巡大淀は最後の連合艦隊旗艦として、日本海軍の最後を飾った船として有名です。特に独特のシルエットが特徴で、どこか大和型戦艦を思わせるような姿をしています。

15.5センチ三連装砲を前部に2基、前から見るととても恰好がいい船です。大淀が特徴のある船だと言われるのは、後部の格納庫があるせいです。軽巡とは、日本海軍では元来水雷戦隊を率いる艦首として設計され、また運用されてきました。しかし大淀は、後部に大型の格納庫と大型のカタパルトを設置しました。この装備は広い洋上での強行偵察艦として建造されたもので、索敵機の運用の拡充を目的としたものでした。潜水艦隊との連絡なども任務としていたため、通信設備の拡充も図られ最新鋭の軽巡として運用される予定だったのです。

しかし、実に残念な軽巡としての評価しか与えられていません。通信施設の能力はまったくもって能力不足。これは大淀に限ったことではありませんが、レーダーや通信機器は安定した出力を出せず、ほとんど役に立ちませんでした。また、大戦略の中で潜水艦隊の運用が出来ませんでした。戦後ニミッツが語っているように、優秀な潜水艦をそろえていましたが、上手く活用できなかった日本海軍。潜水艦隊との連携を目的に生まれてきたのに、その潜水艦隊を活用できなくては存在理由が完全に失われてしまいます。

新型軽巡というだけあって、居住性はかなり改善が図られたようです。部屋の広さや通路の設計など、劣悪な軍艦の生活性を少しでも改善できたのがポイントです。しかし・・・、実際に色々な方が語っていますが、通信機器や新設備が増えたおかげで「ごちゃごちゃ」しているという評価も。また連合艦隊旗艦として司令部設備が委譲してきてからは、まったく艦内が狭くなってしまって居心地が悪いと言われてしまう始末。

しかも戦局の悪化で改修や改善はまったく進まず、ついには魚雷発射管を装備してくれと懇願されてしまいます。ちなみに、日本海軍の軽巡の中で、大淀は唯一魚雷発射管を装備したことがありません。おまけに艦の復元性も相当悪かったようで、これでもかという具合に弱点が目立ちます。

ただし、かなりの高速艦艇であったという噂も残っています。公試運転では35.5ノットですが、実際には39.5ノットの発揮が可能であったと言われています。本当でしょうか?

大淀は、激戦を潜り抜けたあと江田島湾で停泊中に米軍機の空襲をうけて大破転覆してしまいます。江田島湾の片隅でその生涯を閉じました。現在は、ひっそりと軍艦大淀戦没者碑が沈没場所のそばに立てられています。

軽巡大淀沈没地02

軍艦大淀戦没者碑に行くには、呉市から江田島市方面に国道487を進みます。能美島に入ったら、大君交点という所で県道44号線に入りましょう。そのまま真っ直ぐ進むと江田島湾に出られます。海まで出ると、県道36号線に接続できます。県道36号線を江田島市方面に左折して少し進むと、軍艦大淀戦没者碑があります。

県道36号線に乗ると、右手に小さな脇道があります。何か水産加工の工場みたいなものがありますが、そのまま小道を進んでいくと軍艦大淀戦没者碑が立っています。戦没者や大淀の模型があり、綺麗な海を望むことができます。

軽巡大淀沈没地03

県道36号線から脇道に入る時、何も案内表示がありません。「えっ!?ここ!」というくらいに、小さな小道を進みます。注意してほしいのは、ワンボックスカーや大型セダンなどの大きな車の場合、入っていくのは避けた方が賢明です。車一台しか通過するスペースがないので、対向車が来たらどうすることもできません。

また、軍艦大淀戦没者碑の場所でその小道は終着点です。通り抜けも出来ません。軍艦大淀戦没者碑が立っている場所には、多少のスペースがありますが、大型車の場合切り返しが不可能と言っていいでしょう。

私の場合、軽自動車でやっと切り替えしができました。軽自動車で行くことを強くおススメします。