ホーエンツォレルン家の地下聖堂とベルリン大聖堂の見どころ完全ガイド


1. 棺の間(ホーエンツォレルン家の地下聖堂)とは

1-1. 地下聖堂の概要:場所・成立時期

ベルリン大聖堂の地下に広がる棺の間は、ホーエンツォレルン家の霊廟として16世紀末に整備が始まりました。当初は小規模でしたが、プロイセン王国の発展とともに規模が拡大し、王や選帝侯、王妃などが次々とここに葬られました。地下聖堂は荘厳で静謐な雰囲気に包まれており、現在も訪れる人々に深い歴史の重みを伝えています。ベルリン中心部という立地ながら、王家の永遠の眠りを守る特別な空間として保存されてきました。

1-2. 埋葬数と時代の広がり

この棺の間には、およそ94人以上のホーエンツォレルン家の人々が埋葬されています。16世紀末から20世紀初頭まで、約400年にわたり王族やその配偶者がここに眠っています。棺や石棺の様式は時代ごとに異なり、ゴシックからバロック、さらには新古典主義まで幅広く、プロイセンやドイツの歴史的変遷を反映しています。歴史好きにとっては、一族の歩みと芸術様式の変化を同時に感じられる貴重な場所といえるでしょう。


2. 埋葬されている主な人物たちとその見どころ

2-1. フリードリヒ1世とゾフィー・シャルロッテ

プロイセン初代国王フリードリヒ1世とその妃ゾフィー・シャルロッテは、ベルリン大聖堂の棺の間で特に注目される存在です。フリードリヒ1世は1701年に国王として戴冠し、プロイセンを強国への道に導いた人物であり、その棺は豪華な装飾で知られています。妻ゾフィー・シャルロッテは学問や音楽を愛した教養人で、ベルリン文化の発展に寄与しました。二人の棺は堂々とした佇まいで配置され、来訪者は当時の王権の威光を目の当たりにすることができます。

2-2. グレートエレクター(フリードリヒ・ヴィルヘルム)とその妻ドロテア

「グレートエレクター」と称されたフリードリヒ・ヴィルヘルムは、プロイセンの基盤を築いた選帝侯として高く評価されています。三十年戦争後の混乱期に領地を再建し、軍事・経済の両面で国を強化しました。彼の棺は妻ドロテアと並び、堂々とした存在感を放っています。ドロテア妃は政治的にも影響力が強く、夫を支えつつ王家の安定に貢献しました。二人の棺の配置や装飾は、プロイセン国家形成の象徴ともいえるもので、訪れる人々に歴史的な重みを伝えています。

2-3. その他の重要人物(ヨハン・シセロなど)

他にも選帝侯ヨハン・シセロなど、数多くの王族がここに眠っています。ヨハン・シセロはベルリンを選帝侯領の中心都市へと発展させた人物で、彼の存在なくして後のプロイセンの隆盛は語れません。棺の間には王妃や公女の棺も多く並び、家族としての王家の歴史を伝えています。いずれの棺も装飾や形状に違いがあり、単なる墓所にとどまらず、芸術作品としての価値も高い点が魅力です。訪問者は一つひとつの棺を通じて、ホーエンツォレルン家の物語をたどることができます。


3. 芸術と歴史が融合する装飾

3-1. サルコファガスの素材と装飾

棺の間に並ぶサルコファガス(石棺や木棺)は、時代や地位によって装飾に大きな違いがあります。大理石や銅製の重厚な棺から、金箔やベルベットで覆われた華麗な棺まで、権力や信仰心を象徴する多様なデザインが見られます。王や王妃の棺には王冠や紋章が彫刻され、装飾には荘厳さと芸術性が同居しています。素材や仕上げの違いから、当時の美術様式や職人技術を読み取ることもでき、単なる墓所を超えて美術館のような趣を感じさせます。

3-2. 彫刻・表現様式の変遷

棺の彫刻や装飾の表現には、時代ごとの美術潮流が色濃く反映されています。初期にはゴシック様式の厳格な意匠が多く見られますが、17世紀以降はバロック様式の華やかな曲線や装飾が増えました。さらに啓蒙時代には新古典主義的なシンプルな装いも見られ、歴史の変化をそのまま体現しています。訪問者は一族の歴史を知るだけでなく、芸術史の流れを“棺のデザイン”というユニークな視点からたどることができる点が、大聖堂地下聖堂の大きな魅力といえるでしょう。


4. 戦禍と修復の歴史

4-1. 第二次世界大戦による被害と被災状況

ベルリン大聖堂は第二次世界大戦の空襲によって甚大な被害を受けました。特に地下聖堂の棺の間は爆撃により崩落や浸水が発生し、多くの棺が損傷しました。一部は完全に破壊され、中の遺骸が露出するほどの惨状だったといわれています。戦争の悲惨さを伝えるエピソードとして、棺の間は“失われかけた王家の記憶”を象徴する場にもなりました。現在見られる多くの棺も、戦後に修復や再配置が施されており、復興の努力の証として残されています。

4-2. 戦後の修復と地下聖堂の再開・再整備

戦後、ベルリン大聖堂は長い間閉鎖され、修復作業が進められました。特に棺の間は保存状態の悪化が深刻で、多大な資金と時間をかけて修復されました。東西冷戦の時代を経て、1990年代以降に本格的な修復が進められ、現在のように一般公開されるようになりました。修復の過程で棺の清掃や補強が行われ、かつての荘厳さを取り戻しました。訪れる人々にとって、戦禍を乗り越えて再生した棺の間は、単なる王家の霊廟ではなく、歴史的記憶と復興の象徴でもあるのです。


5. 観光としての魅力とアクセス情報

5-1. 見どころポイント

ベルリン大聖堂の棺の間は、王家の歴史を体感できるだけでなく、芸術的価値の高い棺を間近に見られる貴重なスポットです。また、棺の間を見学した後は、大聖堂内部の壮麗な装飾や世界最大級のパイプオルガン、そしてドーム上部の展望台からベルリン市街を一望できるのも大きな魅力です。棺の間を訪れた後に大聖堂全体を巡ることで、宗教、芸術、歴史が融合した空間を総合的に楽しむことができます。

5-2. 最新の訪問情報と注意点

観光で訪れる際には、チケットは大聖堂全体の入場料に含まれており、棺の間も同じルートで見学できます。写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止の場合が多いため注意が必要です。館内は静粛が求められ、特に棺の間では追悼の場としての雰囲気を尊重することが大切です。営業時間や展示の詳細は季節やイベントにより変わるため、事前に公式サイトで確認することをおすすめします。訪問者は歴史を学びながら、荘厳な空間を体感できるでしょう。


ウィルヘルム一世の葬儀の際の絵画でしょうか?展示されていました。

6. まとめ

ベルリン大聖堂の棺の間は、16世紀から20世紀までのホーエンツォレルン家の王族が眠る壮大な霊廟です。フリードリヒ1世やグレートエレクターなど、プロイセンの礎を築いた偉人たちの棺は、歴史的価値と芸術的魅力の両面を備えています。戦禍を乗り越えて修復され、現在は一般公開されているこの空間は、王家の歴史だけでなく、ベルリンという都市の記憶そのものを伝える場でもあります。観光客にとっては歴史探訪と芸術鑑賞の両方を楽しめる必見スポットといえるでしょう。

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