回は横須賀市のはずれにひっそりと佇む駆逐艦「村雨」の碑を紹介します。駆逐艦「村雨」とは太平洋戦争中に活躍した白露級駆逐艦3番艦です。主に南方作戦に従事し、多くの海戦を戦いました。旧海軍史跡は呉市の海軍墓地などが有名ですが、関東にもちゃんと存在しているのです。
近年「艦隊コレクション」、いわゆる艦これがブームを巻き起こし、軍艦ブームと呼ぶべき流れを作り出しました。従来より軍オタと呼ばれる層があり、軍事というと一部の人間が噛んでいるマイノリティでした。
しかし、美少女と軍事というコラボも昔からあったのも事実です。その系譜もまたマイノリティであり、日の目を見ずに、しかし脈々と受け継がれる色物ジャンルだと私は思っていました。ところが、艦これの大成功。いったいどういう理論が働いたのでしょう。ものすごい興味深いです。
艦これブームの結果、旧海軍ゆかりの地でイベントがたくさん開かれるようになりました。北は青森県の大湊、南は長崎県の佐世保市。旧海軍の要衝であった広島県の呉市、現在でも在日米軍と海上自衛隊が駐留する神奈川県の横須賀市。さらに京都府の舞鶴市などが有名です。
横須賀は現在も海上自衛隊がいるので、旧海軍関連の史跡などはヴェルニー公園と近年設置された戦艦陸奥の主砲ぐらいでしょうか?現役の自衛隊のイメージが強いと思います。しかし、わずかばかり旧海軍の史跡は存在します。今
横須賀にあるとはいえ、郊外の住宅地の中にあるので、余り訪ねる機会はないのかもしれません。管理人は今回浦賀駅から行ってみました。最寄駅からかなり遠いのでバスかタクシーがいいですね。田舎者はバスの乗り方がよくわからない!特に料金の見方がよくわかりません。けどパスモやスイカ等のICカードがあれば何とかなるものですw
鴨居港という小さな港近くまで行けば、そこから徒歩で10分ほど、観音崎という海が見える場所に駆逐艦「村雨」の碑があります。住宅街の中ですが、海が見えるいい場所ですね。
白露級駆逐艦は、傑作と謳われた吹雪級を改良した駆逐艦でしたが、初春級と同じく武装の割に船体が小さく、バランスがあまり良いとは言えないと評価されていました。しかし、いざ戦争となれば否応なく兵器は戦場に投入しなければいけません。とはいえ、旧海軍の駆逐艦軍は広大な太平洋を所狭しと暴れまわりました。
多くの艦船が南方で没し、多くの命が失われました。呉の海軍墓地しかり、多くの魂は日本に戻ってきていると信じたいですね。しかし、村雨の碑は観音崎という南の太平洋を見渡せる位置にあります。村雨の魂は今でも南を見ているのでしょうか。