呉市が現在おしているのが大和関連。大和とは言わずと知れた戦艦大和のことです。世界最強の戦艦です。46cm砲を搭載し、戦艦同士の撃ち合いなら、まさに無敵の戦艦として建造されました。それを作り上げたのが、呉のドックだったのですね。
この大戦艦の記憶をとどめておくために、大和ミュージアムが作られたのです。名誉館長には半藤一利さんや阿川弘之さんなどの海軍フリークの方々が就いていらっしゃいます。阿川弘之さんは、先日亡くなってしまいました。とても残念です。山本五十六、米内光政、井上成美は名作です。個人的には軍艦長門の生涯が一番の名作。
我々、軍事オタクにとって、戦艦大和というのはかなりメジャーなテーマです。悲劇の戦艦、航空機の時代においていかれた遺物、などとしばしば評価されます。その通りなのですが、戦艦大和を語ることは、それ以上のものを教えてくれます。
是非多くの方に、戦艦大和のことを知ってもらいたいですね。今回は、呉市の一番有名なスポットなので、行ってみました。
館内に入って、まず目に入るのが戦艦大和の巨大模型。かなり精密に再現されています。来館者も大勢いましたが、40代くらいの方でしょうか、「ばかばかしいくらい壮大で、こんなすごい戦艦、実際に使われなかったのに、本当に無駄だったな~」ということを話していました。
正に、その通りです。戦艦の時代は終わってしまった時期に作られた、戦艦が大和です。しかし、私は歴史を顧みるに、太平洋戦争中の戦果や結末だけで、戦艦大和を語ることはできないと思います。今の方々には分からないでしょう。
世界最強、最大というだけではありません。明治健軍以来、日本の歩んできた道そのものなのです。・・・まあ、歴史・軍事論は長くなるので、いつか機会があったら語ってみようと思います。
展示フロアもかなり様々なものが展示されています。93式酸素魚雷などが展示されていました。ここでも、よくわかっていない方々が「ミサイルや~」と話していました。まあ、仕方がないことですね。
また、回天や特殊潜航艇海龍などが展示されています。また、甲標的の内部構造の展示がされていました。これは勉強になりますね。
伊400などを作り上げたことから、日本は魚雷や潜水艦についての先進国だったのです。戦後ニミッツが語っているように「日本は潜水艦を使いこなせなかった」のです。
色々なものが展示されていましたが、やはり一般の方にウケがいいのは零戦ですね。日本が誇った名戦闘機零戦です。
珍しいのが62型ということ。まあ、かなりマニアックな着眼点ですがね。やはり冷戦は美しい。
宮崎駿監督の「風立ちぬ」で堀越二郎さんと零戦が有名になりました。東京の靖国神社の遊就館、また青森県三沢市の航空科学博物館で見ることができます。
その他にも砲弾の展示がありました。重巡級の20センチ砲弾、戦艦の36センチ・41センチ、そして46センチ砲弾が展示されています。かなりでかい、まさに大艦巨砲主義時代のものです。
しかし、あまり来客は興味を示さないようです。みんな飛行機などのインパクトの強い方に行ってしまいます。私のような軍事オタクしか見ないのでしょうか。
ここは本当にいい資料館です。海軍マニアの方は是非行ってみるといいでしょう。あの大和の縮尺で、最盛期の連合艦隊を再建してみたいという妄想が・・・。
大和ミュージアムの凄いところは、展示フロアが大きな吹き抜けになっていて、色々な角度から、大和の巨大模型や零戦を見れるという所ですね。
やはり大和は、斜め前方からの姿が一番美しいですね。46センチ三連装砲と艦橋の姿は、兵器の持つ美しさ以上の何かを感じさせてくれます。
写真を撮るのもかなり便利です。三沢市航空科学館と少し似ていて、戦史博物館というだけではなく、船舶・造船の科学館という側面を持っています。
小さい子でも、船について楽しく学べるという所がいい。こういったミュージアムがいいですね。
大和ミュージアムで実は一番感動したのが、戦艦大和ではなく戦艦長門の軍艦旗。
戦艦と言えば大和や三笠が有名ですが、実は戦時中は戦艦長門が有名な艦でした。沈没を免れた幸運艦で、大和・武蔵には及ばないものの、かなり屈強艦なのです。
大和ミュージアム名誉館長、阿川弘之さんの著書「軍艦長門の生涯」に詳しく書かれています。読んでみるといいでしょう。
敗戦後、アメリカ軍に接収された際に、アメリカ軍の軍人に軍艦旗を持っていっていかれてしまったのです。それがめぐりにめぐって、なんでも鑑定団に出品されました。ついた鑑定額は1,000万円。
これを石坂浩二さんが個人的に購入。大和ミュージアムに寄贈したというのです。これはかなりジーンときました。