今回はサンスーシ宮殿についてご紹介したいと思います。ドイツと聞くと、ロマンチック街道に代表されるような古城のイメージがどこかにあると思います。壮大なものも多く、ホーエンツォレルン城やノイシュバンシュタイン城が有名です。
サンスーシ宮殿はベルリン近郊のポツダムという街にあります。ベルリンから鈍行で30分ほどでポツダム駅に着きます。ちなみに、ベルリン市内にはポツダマープラッツという駅があります。電車の行き先表示には注意しましょう。ポツダム駅からはタクシーで行くのがおすすめです。徒歩で行けなくもありませんが、やはりタクシーがいいでしょう。ポツダム駅前に常にタクシーはいるので、タクシーの運転手さんに「サンスーシ、ぷりーず」というと、すぐに理解してくれます。
さて、今回はサンスーシ宮殿。”宮殿”です。
宮殿とは、主に王が執務をしたり寝食をしたりする場所のことです。サンスーシ宮殿は、かのフリードリッヒ二世が、生活の場として建築しました。啓蒙君主の代表として挙げられる人物です。知らない人もいるかもしれませんが、「フリードリッヒ大王」と呼ばれる超有名人です。かのナポレオンやヒトラーも尊敬していたといいます。
この人物の詳しい経歴を知りたい方は、Wikipedia先生にお聞きいただければと思います。ざっくり言いますと、この人は当時強国に囲まれていたプロイセンを率いて領土拡大を成し、プロイセンを列強の一部に押し上げた人物です。あと文化芸術の振興に力を入れ「ジャガイモ」の普及を進めたという功績があります。
プロイセンは”軍隊が国家を持っている”と言われるほど、軍事専制の国でした。フリードリッヒ大王の父親もバリバリの軍人王で、文化芸術など歯牙にもかけない人物であったといいます。しかし、フリードリッヒ大王は音楽を好み、文化芸術の振興を進めます。自身が王国のトップとなった時、こうした自身の趣味である音楽や、哲学者たちと語り合う場としてサンスーシ宮殿を造営しました。
また「ジャガイモ」の普及はかなり大きな功績です。寒冷地でも比較的育つジャガイモは、プロイセンの食糧事情に大きな影響を与えました。ドイツの食事と聞くと、ソーセージとジャガイモというイメージがあります。このジャガイモ食事文化はフリードリッヒ大王による所が大きいのです。
つまり、フリードリッヒ大王という人物は、その後のドイツ帝国に繋がる”強国プロイセン”の礎を作ったと言っていいでしょう。但し厳密に言うと、軍備面などは父王の代の功績です。しかも、多正面戦争を引き起こした外交については批判もあります。戦場においては自ら前線に立ち、何度も死にかけましたが、ツィーテンやザイドリッツなどの優秀な将軍達の助けもあり、何とか戦争目的を達します。
こうした戦争の勝利と、文化の興隆という治績がプロイセンのナショナリズムとして受け継がれていきます。フリードリッヒ大王より後代、プロイセンはナポレオンに、もうこれでもかって位にフルボッコにされます。しかし、かつてのフリードリッヒ大王時代の栄光が意地となり、シャルンホルストなどの功もあり、軍制改革を進め最終的には怪物ナポレオンを打ち破るに至ります。
フリードリッヒ大王は完全無欠の、絵に描いたような名君ではなかったことと思います。しかし、プロイセンを準一等国に押し上げ、音楽と哲学を愛した人物はプロイセンの歴史にとってやはり偉大な王です。
毎回毎回、序章が長くなり申し訳ありません。文化人としての面があるフリードリッヒ大王、フルートの演奏などが大好きで、サンスーシ宮殿に音楽家を招き演奏会を開いたりしたそうです。サンスーシ宮殿は大王の個人的な家だったのです。その為、各国の宮殿とはやや趣が異なり、小さくまとまっています。外装・内装はさすがに王の家ですが、一階建で荘大というイメージはありません。パリやウィーンの宮殿とは全く異なりますね。このぐらいの規模が、大王にとって一番落ち着く環境だったのでしょう。
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