広島県呉市の重巡青葉終焉之地碑の行き方・見どころ観光情報


重巡青葉終焉之地碑
呉市内から車で少し走ると、重巡青葉が大破着底した場所があります。1944年から、もう実質的に連合艦隊はかつての勇士なく、重巡、戦艦群は各地の港に係留されているだけの状態になってしまいます。レイテ以降、日本海軍の根拠地だった呉には、激戦を戦い抜いた多くの艦艇が集います。

重巡青葉もその内の一隻です。青葉は、海戦初頭から南方戦線で活躍し、都度損傷しながらも沈没を免れて活躍をしていました。しかし、破局は免れず、落日も近づく1945年、油も資材もない日本は青葉を一線で活躍させるだけの余力がなく、浮き砲台として呉市の警固屋地区に繋がれていたのです。

国道487号線をそのまま走ると、江田島まで行ってしまうので、警固屋4丁目の交差点では注意が必要です。警固屋4丁目から国道487号線へのバイパスには入らず、横の小道に入って行くと重巡青葉終焉之地の記念碑があります。道路沿いのドラックストアや釣具屋さんのがあるので、そこで駐車場をお借りするといいでしょう。

碑は青葉の沈んだ海の目と鼻の先にあり、着底した場所のすぐ傍だというのが分かります。石碑の前には国道487号線のバイパスが通っており、架橋された道路が目の前にあって、石碑から海がさえぎられているようにも見えます。青葉の沈んだ場所をもっと眺めたかったのですが、道路下はフェンスで遮られているので、一度車を止めた場所の辺りまで戻り、国道487号線を渡って海に出るといいでしょう。

しかし、車を止める場所には本当に苦労します。ここでも駐車場をお借りしたお店に入り、申し訳程度に買い物をしていきました。

青葉の碑の文字は、第71、72、73代内閣総理大臣、中曽根康弘さんの字です。中曽根康弘さんは旧内務省官僚ですが、戦時中は海軍に応募して入隊し、主計官として各地を転戦しました。青葉に乗艦経験があり、思い入れもあるようです。ちなみに主計官とは事務方と思ってもらうといいでしょう。特に会計などの経理に携わる担当官をそう呼びます。

歴戦の重巡青葉ですが、歴代艦長には山本五十六さん亡き後の連合艦隊司令長官を務めた古賀峯一さんや、第一次ソロモン海戦で重巡鳥海に座乗し、第八艦隊司令官として青葉を率いて戦った三川軍一さんがいます。

重巡青葉、連合艦隊の中でも古強者の艦です。